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宮道天神社は7世紀末、天武天皇の皇子がこの地に居住の際、宮路山中に社を建てたのが始まりといわれています。1572年、領主松平左京亮盛次が本殿を宮路山に、拝殿を麓のこの地に造営しました。
明治13年、宮道天神社と名が改められました。雨乞いの神を祭り、毎年、8月第3土日に雨乞い祭りが行われます。地元青年男子扮する歌舞伎行列とお囃子を載せた山車が赤坂宿を練り歩きます。
旧東海道『赤坂紅里』信号を東へ170mの郵便局を右折、南進450m
住所:豊川市赤坂町宮路1120
宮路山山頂を北東に下り、すぐの分かれ道をさらに北東に向かうと、まもなく宮道天神社の本殿(奥の院)です。
第12代景行天皇(西暦71-130年在位)の時、穂の国(東三河)の県主としてこの地を宮道別(みやじわけ)としました。王子となって治めたのは景行天皇の子、日本武尊の息子である建貝児王(たてがいこのおおきみ)といわれています。さらに建貝児王の子、宮道宿禰速麿が「穂」の県主を継いだ。その子孫が建貝児王を祭ったのが宮路山の山頂と麓にある宮道天神社の起源といわれています(また、穂の王子となったのは、景行天皇の子、宮道別王子だったという説もあるようです)。
宮路山の名が歴史に出てくるのは大宝2年(702年)。このころ、持統上皇が三河を巡行。その最中(701年)に大宝律令が公布され、穂の国は三川(西三河)と統合され、三河の国となりました。
壬申の乱(672年)の時、持統上皇の子、草壁皇子が宮路山山頂近くで守備にあたり、皇子は宮道天神社の祭神となっています。
今となっては、宮路山山頂付近に本殿があるのは不自然にも思えますが、東海道ができる以前は、むしろこちらがメイン道路であったと思われます。鎌倉街道も宮路山山頂を通過していました。
■ 宮 水
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